子ども達が待ちに待った夏休み。
家がしばらく騒がしくなります・・・
昨日の午前中、「My tooth fell out!!」とニーナ。
6歳のニーナ、初めて歯が抜けました。
イギリスやアメリカでは、「tooth fairy」(歯の妖精)がいて、抜けた歯を枕の下に置いて寝ると、妖精がお金と交換してくれるというファンタジーが信じられています。(もちろん親がお金を置きます。)
映画なんかにも時々、tooth fairy って出てきますよね。
で、ファンタンジー上、妖精は歯を集めてどうするのか・・・
調べてみると、色々なバージョンがありました。
①妖精は集めた歯で妖精のお城を作る。
②妖精は集めた歯を元に、魔法の妖精の粉を作る。
③妖精は集めた歯を、まだ歯を持っていない赤ちゃんにあげる。
私的には②番がいいかな・・・
いずれにしても、妖精はきれいな歯しかいらないので、普段から歯磨きをしておかないと、tooth fairyが来てくれないよ、と親は子どもに歯磨きをしつけるようです。
ずいぶん前から、歯が抜けるのを楽しみにしていたニーナ。
抜けた歯を持ち歩いていて、夜寝るまでに失くしてしまいそうだったので、私が預かることに。
とりあえず、キッチンテーブルに置いておきました。
夕食後、メガネをかけずにテーブルを拭いていると、やけに固いトウモロコシのつぶを発見。何の躊躇もなくゴミ箱へポイッ・・・
もちろんそれが、歯だったんです・・・( ̄ロ ̄lll) ガビーン
しばらく後で、ニーナに聞かれ、慌ててゴミ箱をひっくり返して、あさって・・・
あったーーーーーー!!!無事、歯を発見。よかった・・・
ニーナはさも大事そうに、歯を枕の下に置いて、眠りました。
置いておくお金は1ペンスだったり、50ペンスだったり、1ボンドだったり、色々なようですが、今回は100円玉にしときました。
ピッカピカに磨いたやつです。
朝、誰よりも早く起きて、お金を発見したニーナ。
私も叩き起こされて、一緒に喜びを分かち合わされました(^^:)
ちなみに、親はその歯をどうするのか・・・
イギリスでは、へその緒を残す習慣はありませんが、子どもの歯をとっておく人は割と多いようですよ。
ゲームプログラマーのうちのダディさん。
普段は子どもたちが寝てから帰ってくるし、週末も仕事ばかりなので、子どもたちに英語を「教える」ってことは、めったにしません。
会話をしていて、「その言い方は違う」とか、新しい表現なんかを教えることはありますが、ワークを一緒にしたり、絵本を一緒に読んだりとかはないんです。
そのダディに、めずらしく勉強を見てもらったニーナとユアン。
ニーナは英語のワークを、ユアンはとりあえず自分の名前を書けるようにと、名前の練習を見てもらってました。
以前は英語の先生をしていたダディ。
教えるとなると、完璧に教えます。アルファベットの書き順も間違えていたら消して、書き直し!
ニーナは普段、私が注意すると、「まーいいじゃん!」と、直しもしないんですが、ダディに見てもらうのが嬉しいのか、嫌がらずに正しく書き直していました。
私もそうでしたが、勉強でも何でも、母親に色々言われると、何か素直に聞けなかったりするんですよね^^;
教える母親の方も、自分の子どもだと思うと怒ってしまうし。「なんでこれが分からないの!(♯`∧´)キー」って。なので、たまには違う人から教わるのも大事だな・・・って思ったりします。
ユアンも頑張って自分の名前を書きました。
初めてにしては上出来です。思ったよりも上手に書けていて感心しました。(あますぎ?)書くことに関しては、ほっとんど何もしていないユアンなので・・・そろそろすべきなんでしょうが。
ニーナがダディとやったワークはこちら。
「Listen, Read, and Learn With Classic Stories, Grade 1」
300ページほどもあるワークですが、8割くらいはお話です。(読みやすい字の大きさだし、絵も結構かわいい。)
5つの有名な物語が入っていて、それぞれのお話に関する質問が数ページずつ付いています。
CD付きだし、ほとんどお話だし、ワークというより、絵本みたいな感覚で使っているニーナ。気が向い時に自分でCDをかけたり、読んだりしています。
問題をし終わった後でも、ずっと残して活用していけそうなので、 1500円は高くないかな、と思います。
さて、おまけ・・・
これまで何度かニーナの素晴らしい(笑)歌声を披露しましたが、最近はこの歌にハマっています。
その曲名はズバリ!「あふれ出す愛」(Bleeding Love)。
自分の世界に入ってます・・・
あ〜暑い(−_−;)
口を開けば、それしか出てこない〜。
こんな炎天下を重たいランドセルを背負って学校に通う子どもたち・・・
気の毒です・・・
さて、今日は2、3歳児のレッスンがありました。
この時期の子どもはまさに天才。
ものすごい早さで、ものすごい量の情報をスポンジのようにどんどん吸収していきます。
この時期に英語を始めると、成果がすぐにみられるので、教える側としてはとっても楽しいです。アルファベットもすぐ覚えてくれるし、単語や簡単なフレーズもどんどん覚えてくれます。
変な自意識もないので、発音も上手にマネできたり、間違いを恐れず発話できるので、上達も早かったりします。
ただ、覚えるのも早いのですが、忘れるのも同じくらい早いんですよね・・・
今日も2歳の生徒さんのお母さんが、「Do you like 〜?って前は理解してたのに、しばらく使ってなかったら忘れたみたいで・・・」と、仰っていました。
ほんの1ヶ月くらいでも使わなければ、忘れちゃうんですよね。
でも1ヶ月くらいなら、完全に忘れたわけではなくて、頭のどこかに薄っすらと残っているんだと思います。そして、また使っているうちに思い出して
以前よりも濃く脳に残っていく。そうやって忘れて思い出しての繰り返しをしながら、言語をものにしていくように思います。
なので、子どもがあれが言えるようになった、この歌が歌えるようになったと、安心してどんどん新しいことをするのではなく、覚えたことも短いスパンで繰り返し使っていくことがとても大切なんですね。
会話だけだと使う単語や表現なんかも限られてくるので、絵本やビデオなど日常的に利用するのは、やはり有効だと思います。
英語が定着するまでは、長い道のりです。継続は力なり!
細々とでも継続できれば、必ず力はついていきます!
いよいよ夏到来ですね・・・
たった2ヶ月、されど2ヶ月。
極力室内に閉じこもって乗り切りたいです・・・φ( ̄ー ̄ )
さて、うちのリビングには小さなコーヒーテーブルが置いてあるのですが、そのテーブルにコーヒーを置くことはめったにありません。
そこにはいつでもスタンバイOKな、絵の具セットが置いてあるんです。
気が向けば、朝一からでも筆をとる子どもたち。
壁はもう、水彩画だらけです。
別に、「大きくなったら画家に!」と、思っているわけではありません^_^;
ただ、絵であれ、歌であれ、言語であれ、何かの形で自分をしっかり表現できる人になって欲しいな、と思っています。
書いたり話したりする言語的な能力が、まだまだ未熟な子どもたちにとって、絵を描くことはもっとも(?!)気軽にできる自己表現方法です。
絵は、その子が今、何をどんな風に感じて、世界をどのように見ているかを写し出すもので、時には言葉以上にその子の内面を表してしまいます。(専門家でも何でもないんですが・・・)
日本人は自己表現が苦手な人種と言われたりもしますが、自分の世界(意見)をしっかり持って、自信をもってそれを外に発信する訓練を小さい時からしていれば、変わってくると思うんですけどね。
「出る杭は打たれ」ぎみの日本社会で育つ子どもたちには難しいのかもしれませんが、個性を大事に、「自分」に自信をもって、大きくなって欲しいのです。
その第1歩が手軽に始められるお絵描きかな・・・と思いまして、いつでも絵の具セットがコーヒーテーブルに置いてあるわけなんです。
改めて書いてみると、大それた理由に思えてきますが・・・
絵画 = 自己表現 ← 褒めまくる → 自信がつく → 自分の意見を堂々と言える → 世界中の人と渡り合える → 英語が架け橋のツールになる → 英語を今からやっときましょう
(^◇^;)こんな感じで無理やり英語に繋げておきます・・・
Happy painting〜♪
もうすぐ七夕ですね。
幼稚園から笹と飾りを持ってかえったユアン。短冊も2枚もらってきたので、1枚はニーナに、もう1枚はユアンに願い事を書かせました。
1年前、ニーナは「大きくなったら、また小さくなってウサギになりたい。」と言っていました。
今年はどんな願い事だろう・・・と、興味津々の私。
迷うことなく書き上げたニーナのお願いは・・・
「ようせいになれますように」
まだまだかわいい6歳児です。
ユアンは「ディズニーランドに行けますように」でした。
私もダディもディズニーは1回で十分なので、残念ながらその願いが叶うことはないでしょう・・・
さて、かなり古いですが、古本屋で偶然見つけたこんな本を読んでみました。
「なぜ?が言える子を育てる」By 千田 夏光 (1989年出版)
なかなか興味深いことが書かれていたので、少しご紹介します。
まず、「国語はすべての学科学問の基礎である。国語力の欠落している者は社会科も理科も数学・算数も理解し得ないか、理解し得ないに近い」。
「人間は考えなければ生きていけないし人間であり得ない」。
考えるという作業は、「頭の中で言葉を組み立てて文章にすることなので、言葉を知らないと考えられない、もしくは考えが浅いということになる。なので、人間が考えるためには国語力が不可欠になる」。
さらに、真の国語力というのは、「考察力と観察力を具備」した国語力であり、乳幼児期からの働きかけで、それは養われる。
どのような働きかけかというと、「絵本の読み聞かせ」です。でも、ただ読み聞かせるだけではありません。
読み終わった後に、
「怖い話だったね。」「かわいそうだったね。」と、自分の感想を伝えたり、読んでいる時に、絵を見ながら「なんでおじいさんは怖い顔をしてるんだろ?」「腰にぶら下がっているのは何だろ?手拭いだね。何のために使うのかな?」「この男の子はどこを見ているんだろ?」「ここにある「これ」って何をさしているんだろ?」と、やたら考えさせることが大切だということです。
「この蓄積が、文字や記号を読みならすようになったとき最も不可欠な考察力を、ついで人間が生きていくのに不可欠な観察力を養う」のです。
この作業を小学生までたっぷりやっておくと、中学生になった時、読みながら思案することができるようになり、自立した学習ができるようになるのです。
自立した学習ができる子は、「わかる」子のことであり、「できる」子とは違います。ただテストでよい点がとれる「できる」子は、そこで終わり。「わかる」子はそこから思想を広げていくことができ、「創造」ができるのです。
中学、高校での国語教育は大学入試のためのでしかなく、それは大学を出れば何の意味もありません。なので、例えテストなど「できなく」ても、「わかる」子であれば、何の心配もいらないので。
「人間の勝負は大学を出て5年目あたりから」なのだから。
「国語」という科目を中心に抜粋しましたが、算数、理科、社会、音楽、美術についても興味深いことが書いてあったので、興味のある方は読んでみてください・・・
この本を読んで思ったこと・・・
ニーナは絵本を読み聞かせていると、やたらと絵を見たがって細かいことを聞いてくるのですが、まさに「考察力、観察力」を養っていたんだな〜、と。
何分も同じ絵に見入って、なかなか先に進まないので、「そんなに見てたら先にすすめないじゃん!」なんて言うことも多々ありましたが、成長の機会を摘み取っていたんだな・・・と反省。
それこそ、読み聞かせの心髄なのかもしれないですね。
今後は「最後まで読み終える」ことを第1目標とするのではなく、考えること、感じることをもっと大切にしながら読み聞かせをしていきたいなと、改めて思う私なのでした。